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たかはし

ホン・サンス監督「次の朝は他人」

2017年1月15日 第1回目の「なんか映画について書いてみる会」を行いました!

課題作品はホン・サンス監督の「次の朝は他人」

ここで初回に集まった"なんか映画について書いてみた文章"を掲載します。 こんな"書いてみた"文章たちが集まりました!

 

実しやかな決まり文句や人生訓より、人の生活にしばしば発見する肩すかしともどかしさの連続に、思いがけないきらめきが潜んでいる。けれど私は世界が一本の線で結ばれていてつじつまの合うことばかりだという呪いにかかっていて、つじとつまのすき間からこぼれ落ちていくものにしばしば気づけない。ホン・サンスの映画に泣いてしまうのは、そうして見失ったものの素晴らしさを、この手の上に見せてくれるからだ。すてきな人に出逢う今日をやり直せるなんて最高だ。寒空の下で煙草を吹かしながら、何度だってその人をじっと待つだろう。雪の降る坂道でキスがしたい。愛しあった翌朝はもう知らない私たちも去り際に睦ごとしのばせて、男も女ももう一度をほのめかす。そういえば韓国語では、「こんにちは」も「またね」も同じく「アンニョン」だった。

狐拳

 

切ったバームクーヘン「承承承承」/不可逆

ホンサンス『次の朝は他人』評

1本のバームクーヘンを真ん中で切り、左にあるバームクーヘンを右に置き替えたとしても、それはさっきみた1本のバームクーヘンであることに変わりがない。それと同じように『次の朝は他人』をふたつに分割して映画の「ラストシーン」を「冒頭」につなげたとしても不自然ではない気がする。いってしまえば4分割ぐらいにして並び替えたとしても意外といけるだろう。一般的な起承転結のある物語にそんなことをしたら物語は破綻するだろうが、なぜこの映画は破綻が起きない気がするのか。

そもそも「起承転結のある物語」と『次の朝は他人』を比較をしたが、『次の朝は他人』に「起承転結がない」わけではない。しかしドラマ性が薄く、どれが承でどれが転であるかがわからない。平行線のように物語は進行する。

高低差のある山なりのグラフを並びかえたら断片が生まれるが、平らなグラフをいくら並び替えたとしてもグラフは平らなまま、だから『次の朝は他人』は起承転結の起、もしくは承がいくつも並んでいるかのような構造になっているようにみえる。承承承承の前後を入れ替えたとしてもそれは承承承承のままである。

男はまるで同じ日を何回も過ごしているかのように、同じような出会いを繰り返しているようにみえる、いや男はそうしているし、作品自体も意図的にそのようにみせてる。人間関係は時間によって変化していくのが常識だが、男はそれを積極的に拒否しているように見えた。

しかし物語の中には例外的に時間の経過を感じさせる要素がある。映画監督である主人公が「もう何年も映画を撮っていない」という事実だけが時間を重ねていくのである。『次の朝は他人』で起こる出来事は入れ替え可能と説明したが、この事実だけはどんなに入れ替えても、時間が前に進むかぎり、不可逆だ。男は同じ日を何回も過ごしているかのように、同じ出会いや別れを過ごすが、「映画を撮っていない」という事実だけが「男」と映画をみている「私たち」のなかでどんどん膨れ上がっていく。

本多克敏(批評同人penetora:@gibs3penetra)

 

4つの書き出しツイート

いくらなんでも丁寧すぎやしないか。 人物はカメラの手前か奥から歩いてきて、また手前か奥へ去って行く。そうでないときは道路標識やナレーションで今、登場人物たちはどこを歩いているのかを意識させる。

「映画を撮ったり撮ろうとしたりする人々のうちには奇抜な個性の持ち主が少なからずいるが、それは彼らの構想するどんな突飛な『世界』であっても映画においてはモンタージュによって実現可能となるからだ。」—廣瀬純

同じ時間を繰り返す人々もいれば、昨日の記憶を確かに持ったまま継続していく時間を生きる人もいる、ヘンテコリンな時系列を持つこの映画の中で、フィルムカメラに撮られるユ・ジュンサンで終わるのは、今・ここにいることのみが確かなことだということを意識づける。

気の良くした居酒屋の常連にそのまま3件ほど奢ってもらいながら飲み歩いた後、酔ったその人を家まで送り届けた瞬間に「お前何着いてくるんだ、ぶっ飛ばすぞ」とキレられた。

たかはし

 

語りたがる男

仕事柄、酔った男の相手をすることが多々ある。場合によっては話し相手にもなるのだが、人生論や幸福論を語りだす男の多いこと、多いこと。おまけに説教になることも多く、酔っ払いながら語る男に、あまり良い印象はない。だからなのだろうか。映画に出てくる男たちを全く好きになれなかった。 男は何故、女に語りたがるのだろうか。そもそも男は、目の前の女に語っているのだろうか。映画監督のソンジュンが、バーを営むイェジンと一夜を共にしたあと、彼女に3つの約束をさせる。一夜限りの関係にするための口実、口から出まかせのようにも思えるが、彼女に3つの約束を復唱させ、語るソンジュンの姿は、とてもそんな風には見えなかった。まるで自分に、イェジンを使って、自分に語りかけているように見えた。 「俺のことを信頼してくれ」自分に自信のない男が、女に懇願している。男は自分に自信を持てないときに、女に語りだすのだろうか。

小林和貴

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