バーチャルな人混み
地震があると、まずはツイッターを見る習慣がある人は多いのではないだろうか。
実際、都心で地震があると地震関連の言葉がツイッターではトレンド入りする。小さい地震なら「ゆれた?」「地震?」などの言葉がタイムラインに並び、大きな地震だと安否確認や地震に関連した情報が飛び交う。タイムラインは忙しく流れていき、ずっと見ていても追いつけない。
ツイッターで起こるこの状態をバーチャルな人混みと呼びたい。
たとえ身体は1人でも、人々が集っているタイムラインを見れば、それは人混みの中にいるようなものだ。体は自由だが、心はせわしなく動く。他者の言動に心揺らぎ、あれこれ思考を巡らせる。
これはなにも地震のときだけの現象ではない。 例えば金曜ロードショーで『シン・ゴジラ』が放送された日は、リアルタイムで感想がツイッター上に集まっていたし、感想だけではなく、登場人物の言動にあわせた合いの手がツイートされた。『天空の城ラピュタ』の放送時は、主人公たちのセリフに合わせて「バルス」と一斉に多くのツイートがされ、サーバーがダウンする事態となった。
バーチャルな人混みは、リアルな人混みよりも他者との繋がりを意識させる。同じ時間帯、ユーザー同士が同じツイートをしようとす突発的な連帯感も、他者との繋がりを強く意識した行為だし、地震時の安否確認や情報収拾、拡散も、他者を意識しての行動である。体は1人でも、スマートフォン片手に、多くの人がバーチャルな場で他者との繋がりを意識、思考をめぐらせている。
しかし、それは自分本位な繋がりへの欲求からくるものが大半で、とても希薄な繋がりでもある。自分自身が大きな輪の中にいる安心感、マジョリティーに属してい事への安心感からなる、繋がり意識なのだ。