塩田明彦『害虫』
2017年5月24日 第5回目の「なんか映画について書いてみる会」を行いました!
課題作品は塩田明彦『害虫』
ここに"なんか映画について書いてみた文章"を掲載します。 こんな"書いてみた"文章たちが集まりました!
俺もすっかり今では日常に押し流されて生きてるんだが、まあいいや。同僚にはメンヘラってか傷ついた人やら変人やらも多くて、俺はそいつらの話をきくのが好きでね。学生たちだ、20代前半だよ。半端じゃないよ。でもその傷を乗り越えて、越えようとして笑ってるんだ。俺はそいつらが、大好きでね。たまに彼女らにいくつかの映画を紹介をすることもあった、cureとかね。害虫は全然たいした事ないから進めなかったよ。まあ大学の時の俺も病だったね。怒り狂ってた。ほんとに。何に怒ってた?傷もついて無いのに? それを埋める為見つける為見てたのが映画だったんだ。ごめんよ失望させたかい?いろいろ堅苦しい事いってたくせにさ。まあいいや。久々だな、「害虫」空々しい痛みを語ってないかい?俺は空っ風を背に受ける無感情人間になりさがったが、ただ「痛み」にはさらに敏感になったぜ。どでかい何かよりもクソみたいな日常を愛している俺に響くか?何かが。youtubeでラストシーンのクリップをみたよ。。。。。なんじゃこりゃ?息止まったわ。やっぱたいしたもんだよお前、お前じゃない、映画にいってんだよ。じつはさほど痛くないのがまた痛いね。_この齢になって、感じたが、これは初まりの物語なんだよ。西鶴一代女とはちがうよ。「堕ちていく」とかいってんじゃねえよ。まだまだここからだ。俺もな。
古澤淳
本多克敏(批評同人penetora:@gibs3penetra)
拒絶と選択『害虫』
サチ子には「悪い虫」がぶんぶん寄ってくる。
劣情をもよおした男どもが吸い寄せられるように集まってくる。母親の新しい恋人には強姦されそうにすらなる。
だからサチ子は決して他人を寄せつけぬ鎧を纏っている。しかしその棒切れのようにか細い身体に纏った鎧はほとんど防御の機能を発揮していないようにも見える。甲虫が固い鎧で身を守っていても人間にはいとも簡単に踏みつぶされてしまうかのように。
サチ子は世界を拒絶している。
そうするしかないのだ。
悪事で解放されていくかに見えるサチ子。それまでに見せなかった子供のような笑顔が弾けるが、悪事は悪事。万引きであれ、火を付けることであれ。
だからサチ子は自分が悪いことをやったと自覚して、それを自分で引き受けようとする。とてつもなく不幸な世界に落ち込んでいく道かもしれないけれど、サチ子はひとつ、自ら道を選んだ。
それがサチ子の世の中に対する最後の抵抗でもあるし強さでもあるのだ。
山内敬( trancinema )
現在の恋人は1つ年上なのだが、先日「10代の子に恋する大人は、どこかおかしい人だと思う」と夜道を散歩しながら話していた。もちろん場合によってではあるが(例えば19歳と22歳くらいなら全く問題ないと思うし)その通りだと思った。
19のときに32の人と恋愛をしたことがある。あまり良い思い出ではないのだが、それを差し置いても今思えば、彼は現在の恋人が言う「どこかおかしい人」だったのかもしれない。
さらに遡ると、12のときに19の人に恋をされたことがある。先に出した人とは13違い、こちらの人は7つ違い、だけどこちらの人の方が「どこかおかしい人」だと思う。年の差の問題というよりは、小学生に恋をするということが「どこかおかしい人」を増幅させている。一歩間違えれば犯罪だ。
サチ子と付き合う先生は、どういった気持ちでサチ子と付き合ったのだろうか。ベッドに横たわるサチ子には触れず離れていったのだから、プラトニックな関係(であって欲しい)なのだろうが、小学生に、子供に好意を寄せるのだから「どこかおかしい人」だ。
サチ子は害虫と言うよりも誘蛾灯だ。次から次へと男が寄ってくる。男たちは誘蛾灯に群がる害虫。彼らは様々な角度からサチ子の人生に関わったり、関わろうとするが、その結果、破滅へ向かう男がほとんどだ。男たちを破滅させていくサチ子は、男たちにとっての害虫とも言えるだろうが、誘蛾灯は害虫をおびきよせ殺す装置。当然の末路だ。サチ子は、ただそこにいるだけだ。
小林和貴
「見間違えること」は「害虫」ではよくあることだ。
まず人物では、①「ねえ、生理いつ?」と聞く男はレーザーポインタで尾行者を追い払う男に見える、②ベッドの脇で死んでいる男と宮崎あおいの髪を乾かしていた男に見える、③松籟祭の後に告白されたのは蒼井優に見える。
空間では、④朝家の前の階段を降りてくる蒼井優が出てきた家は蒼井優の家に見える、⑤文通をしているらしき先生はしばし雪降る景色の中にいるが雪の降らない空間にいる宮崎あおいのカットと時系順に並んでいないように見える。
この見間違いは大きく分けると「読解」と「編集」の2つから誘発される。
①と③は2人の人物が「物語上」誤認させる。例えば蒼井優に好意がある男子生徒に呼ばれてフレームアウトした蒼井優の次のカットで、暗がりの中でキスをする男子生徒と宮崎あおいが映る。2人は髪の結い方が違うものの、薄暗い中であることや、他のシーンでどうやら男子生徒は蒼井優のことが好きなようだと思えるカットから、これは蒼井優なのではと思えてしまう。
それ以外は編集の操作による不明瞭さが起こす。②は下からのアングルな上に類似した輪郭であること、他は他カットとの関連性の薄さから空間的なつながりを理解するためには数シーン経たないといけない。
「害虫」は見る者との認識をズラし、よくわからなくさせる映画だ。こっちかなと思えば肩透かしを食らわせられる。どっちかわからないときでもそのまま映画は続く。ズレに抗うためには、ズレていることを認めながらもこちらもすすんでズレてみることだ。待ち合わせ相手が来るのを諦めて出て行ったとき、ちょうどその相手が着いた姿を見たって、気にしないんだ。
たかはし