たかはし
せみ
見えないもののせいで先に進めないこと、子供がガラス張りの扉にガラスだと気付かずぶつかって「えへへ」くらいならかわいいもんだけど、女性だから昇進できない話を聞くと、僕はせみのことを思い出す。
アスファルト舗装された道路の下には地面から出ようとしているセミがいるのではないか。僕の実家周辺は木が多いのだけど土が見えるのは木の根元の50cm四方程度しかない。他は全部舗装されている。そのわずかな場所に夏場はせみが出てきた穴がびっしりある。
こんなにせみがいるのだから舗装される前の土にもさぞ多くのせみが眠っていたはずだ。その上にコンクリートが被さった。6年待って、いよいよ地上に出ようとするのに、ただ自分が死んでいくのを待つしかないなんて。
あまりにもかわいそうじゃないか。だからその舗装された道を歩くとき、下にいることを最高に楽しみ始めたせみのことを考える。コンクリの下もなかなか乙なところだなんて言ってみたり、地上に出ないことに誇りを持ったりするせみが出てきて独自の文化を作る。そうして地下空間がけっこう発展してきた頃、空洞化した地下に耐えられなくなって、コンクリートが崩れ落ち、地上も地下も崩れ去る。
そんなガラスの天井を茶化した、せみの寓話はいかがでしょう?