電気なのだ
詩人が死んだペテンの街で流れる音楽も、エリートシティーで流れる音楽も、電気なのだ。
僕は20時までの残業申請を出したものの仕事が終わらず、結局23時まで仕事をしていた。「お先に失礼します」と誰もいない部屋に挨拶し、事務所の鍵を閉める。
仕事場からの最寄駅に向けて歩いていた。狭い歩道で通り抜けできない程度に横に並んで歩くOL2人組の後ろを「邪魔だからどけよ」とイライラしていたとき、前のOLと全く同じリズムで歩いてみようかと思った。
右足を踏み出すタイミングで僕も右足を出してみる。同じタイミングで着地してみる。すると、僕も前のOLと同じ速さで歩いていることに気付く。
2年前、僕の友達と女の子の知り合いと、3人で飲みに行ったことがある。帰り道、居酒屋から新宿駅まで歩いていたとき、スタスタ歩く僕の後ろで、友達と女の子は同じスピードで歩いていた。
2人は付き合って、今同棲している。
「コピーの街で予感は死んだ」
P-MODELが歌うのは、真似からは何も生まれないということだ。僕が深夜に悪ふざけて合わせた歩幅からは何も生まれなかったのだろうか。
同じ歩幅で歩いただけで、話したこともないOLと恋に落ちようなんて思わないけれど、僕もいつか横に広がって、人の邪魔をしながら歩くんじゃないかって予感がした。
YouTubeで流れるP-MODELだって、フィルムのように光を刻印してるわけじゃない。電気なのだ。瓦礫のシティーシティーは異端だけでできているんじゃない。なにかなのだ。