筒井武文『オーバードライヴ』
2017年11月23日 第11回目の「なんか映画について書いてみる会」を行いました!
課題作品は筒井武文『オーバードライヴ』
ここに"なんか映画について書いてみた文章"を掲載します。 こんな"書いてみた"文章たちが集まりました!
タクシーで目的地を「下北(沢)」と伝えたつもりが、青森の下北半島に連れて行かれる弦(柏原収史)のように、『オーバードライヴ』をみるわれわれは、予期していたところからはるか遠くに連れて行かれる。それは弦が下北半島に着くまでそのことに気づかないのと同様に、連れて行かれてはじめてその事実に気がつくのだ。われわれは筒井武文に乗せられていったいどこへ来てしまったのだろうか。それはまぎれもなく映画史的地層がそこここで露頭し、ウサギならばそこをぴょんぴょんと飛び回って一生遊びつづけられるような場所、まさしく弦が最初にタクシーで連れて行かれた、「恐山」と看板の立てられた風景のことだ。思いつくかぎりの映画史的記憶、技法を横断し探査していくような範列的フレームは、わかりやすく垂直的な劇として組み立てられるプロットの裏でつねに作動しながら、じつは映画として物語を開示する編集=統辞的フレームでもあるのだ。だからわれわれはこの映画で、映画史的記憶を総動員することと、物語を抜け目なく語ることとのあいだに一致があり得るという事実にあらためて気づき驚かされるのだ。
わたしはそのようにしかこの映画を語ることができない。一本の映画として語ることを禁じているものがなにかということすら、わたしは語ることができない。
三上耕作
「絶対にいいものができると確信しております」と筒井武文が言っているんだから絶対に良いものに違いない。筒井武文とはそういうもんだということを、大学1年生の僕は教えこまれていた。
2011年2月に僕は初めて筒井作品と監督本人を見た。「ゆめこの大冒険」というそりゃあもう、ぶったまげるようにずっしりと軽やかな映画で、年間1000本も映画を見るシネフィルにこんなにも爽やかな映画が撮れるのかと驚嘆していた。とにかく豊富なアイデアをたくさん詰め込んだその映画に憧れた。その後のトークで筒井さんは顔に出やすい性格だそうで、良いカットが撮れるとニコニコしているのだと、それがすごく良くて、みんなニコニコしている筒井を見たくて色々アイデアを出すのだと聞いた。
「絶対にいいものができると確信しております」とは「オーバードライヴ」のメイキングムービー内で言った言葉だ。その映像でようやく僕はニコニコしながら現場を仕切る筒井さんを見ることができた。「絶対OK!」と大声で叫んで、ちょっとふざけた自分に恥ずかしくなってモジモジしている筒井さんを見ればわかる。これは”絶対にいいもの”に違いない。
「ゆめこの大冒険」から17年、久々の作品もまた頭からアイデアが出まくって、蓋から溢れ出る。ちょっとは蓋も仕事をしてほしいものだ。僕が入る隙間がなくなっちゃうじゃないか。
たかはし
地獄案内人が行く先には人生をやり直せる秘境がある。そこにジャンプよろしくなバトルあり、恋愛あり、ご当地映画要素あり、いろんな人が美味しい映画である。はずである。しかし私は観ていて何度か気を失った。小ネタが疲れるなぁ……とかそういうのは置いておき、好きなもしくは印象に残った場面をあげてみようと思う。
・三味線を弾き終わり、そっとバチを置く、音の洪水の後の短い静寂。
・鈴木蘭々の歌。そういえばこの人歌うまかったんだよなと久しぶりに思い出した。
・私の実家の墓がある寺に丸門がある。ミッキーカーチスの部屋はあの丸門を思い出す。世界と異世界の狭間、狭い部屋の中にそれを感じた。
・柱を使った時間経過。映像とともに気持ちが切り替わる。
・大和会、聞いたときに「山都会」と勘違いし面白いなぁ~と感心したが、普通に大和会で少々がっかり。
・鈴木蘭々と柏原収史の徹底的な視線の合わなさ。
・かわいいモデル+バンドマン編成のバンド、あ~あったよねあったあった。『南瓜とマヨネーズ』でもそんな描写あったが、バンドマンにとってはなかなか辛い。
すだち頼子
主人公のギタリストは早々に本州最北の地、下北半島へ降り立つ。いずれ東京に戻ってくるだろうと思っていたが意外に下北の地にとどまり続けることになった。
実際は予算の都合でロケ地は青森ではなく小山とか伊豆だったみたいだが。
きちんとセットを組み、まじめにギャグを積み重ね、悪魔に魂を売り渡した最強の敵を倒し、豊かな三味線の音色をこれでもかとかき鳴らし…と、豊かな豊かな物語が地域にでんと腰を据えて紡がれたことの意義は大きい。
「東京」が地域の隅々にまで行き渡り、地域の風景はどこも一緒になってしまったように思える。ショッピングモール、シネコン、TYUTAYA、カラオケボックス、スターバックス、コンビニ…
果たしてカメラを向けうる風景は日本のどこに残されているのだろうか?
いや、きっとあるに違いない。
「地域の時代」なんてスローガンを掲げなくても、金をバラ撒かなくてもいい。映画こそが真に豊かな「地域」を映し出してくれるはずだ。
山内敬( trancinema )