ワン・ビン監督『苦い銭』
第14回目の「なんか映画について書いてみる会」を行いました!
課題作品はワン・ビン監督の『苦い銭』です。以下、当日の議事録です。
■参加者:6名
■話したこと
<貧困について>
・部屋に本がない、ヴォイスメモでメールもしている(識字率の問題?)
・金銭的貧困、文化的貧困、人間的貧困
・見かけだけにとらわれたるする、何も考えない。本人も気がつかない貧困が蔓延しているのでは
・あまり貧困を感じなかった。わかりやすい「貧困」が映っているわけではない
現代の貧困は見えにくくなっていて、見る方も試されている
・みんなスマホを手離さない。生活が苦しいのにスマホを持ってる?
→グローバリゼーションの波がきて苦しんでるんだから、スマホくらい持ってるのでは
・貧困貧困言うが、日本もたいして変わらないのでは
・清貧について
・生活に必要なものは揃っていた。でも、住みたくない・・・
・出てくる社長も資本家になりきれない労働者たち。出稼ぎの人たちと同じスペースに住んでいる
・出稼ぎは30万人いる→中野区が30万人
・話す話題が「家族」「仕事」だけなのは、貧困の証では
<批評を書くことについて>
・豊かなドキュメンタリーから、それ以上に豊かな批評が書ける気がしない
・映画は縦長なのに、文章は横長で書いる。それはどうなのか
・映画をレイヤーで考える。文章のレイヤーを作り上げるには、どうすれば良いのだろうか
→文章は一本調子のようにも見えるが、前の文章の記憶が読む上で大事。十分レイヤーがあるのでは
・パソコンで文章を書くと単語に執着しがち。手書きだと流れに意識がいく
・ドキュメンタリー映画を語るとき、そこに映っている社会問題と切り離して語れないのか
カット、撮り方など。
<画面からみえること>
・観客が映画を試すし、映画も観客も試す→倫理観とか
・階段が真っ暗→ドラマが生起しない→劇映画の階段は明るい
・映画の中で描かれる裕福さは「広くて・高い」が多いが、
本作に関して言えば貧困が「狭くて・高い」で描かれている。地位の高さ=物理的な高さではない
・フレーム外の街の音がうるさい(クラクションの音が特に!)
・街が夜でも明るい、工場地帯の明るさ
・余剰がなかった。ものすごく閉鎖的な空間
<そのほか>
・冒頭の女の子が魅力的
・DVのシーンはどうやって撮っているんだろう、止めないのか
・ドキュメンタリー内にある「そこだけの」ルールが面白い。ソファーがあるのにそこには座らないとか
・満員電車など、国や公的なものへ改善を求めるべきことを隣人にぶつけてしまう。隣人悪
・爆買いブームのときの中国人は、どの層の中国人なのか
・監督から与えられるフィルターが少なくて、感じ方は人それぞれだなぁと思う映画だった
・苦い銭なのに、お金が映るシーンがほとんどない
・前作『三姉妹 雲南の子』は霧の中で人物を撮影していて、ゲームをしている感覚になった
今回は遠くまで見渡せる街並みなのに、人の背中ばかり撮っている
ドキュメンタリーなら、背中から撮っても誰も文句を言わない
フィクションは正面から撮ろうとする(前面主義)ドキュメンタリー映画と背中
・歩いているところを前から撮ると、旅番組みたいになる。
・背中から撮るのが、一番カメラを意識されないのでは。ホームビデオだと、
正面から撮ると「いえーい」といったピースサインばかりなる
・長くて寝た
・面白くて寝不足でも寝なかった
・役者さんが生き生きしているなと感じてしまった。劇映画ぽい印象
・お話がないのにお話があるように感じた
■話題になった作品・番組など
・東京ヘルスクラブ MV『CITYGIRL』
・ワン・ビン『三姉妹 雲南の子』
・水曜どうでしょう−原付(カブ)シリーズ
・『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』
・『Young Yakuza』
・電波少年『猿岩石 ヒッチハイク旅』
・ペドロコスタ『溶岩の家』制作ノート
・会田誠展『GROUND NO PLAN』
・美術手帖 18年3月号『言葉の力。』
・平倉圭『ゴダール的方法』